近代オリンピックを創始したクーベルタン男爵がオリンピックの理念としたものが「アマチュアリズム」でした。それが跡形もなく破壊されたのが1984年のロサンゼルス大会でした。
財政がひっ迫したIOCが大会組織委員長に抜擢したピーター・ユベロス(メジャーリーグMLBコミッショナー)は、企業スポンサーを認め、プロの参加を解禁し、人気競技を優先させました。そしてテレビ放送権料やスポンサー企業から莫大な協賛金を集めることが出来ました。いわゆる五輪の商業主義化です。
それを実行したサマランチ会長は21年間在籍し、そのあとはロゲ会長(12年間)を経て現在のバッハ会長(2013年~ )に至っています。
ダイヤモンドオンラインに「 ~ 、I OCの『金と欲望の歴史』とは」が載りました。
時宜を得た企画です。
追記)I OCと直接の関係はありませんが、東京五輪では当初の総経費は3000億円強とされていたのが、最終的には総経費3兆円以上になるようです。さぞかし数々の利権が錯綜したことでしょう。電通やパソナの莫大な「中抜き」も明らかになっています。
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無観客でも五輪開催を強行、IOCの「金と欲望の歴史」とは
蟹瀬誠一 ダイヤモンドオンライン 2021.7.27
国際ジャーナリスト・外交政策センター理事
コロナに勝った証しという
東京オリンピックの誇大広告
新型コロナウイルスの恐怖と灼熱(しゃくねつ)の日差しの中で、1年遅れの2020東京オリンピックが始まってしまった。「始まってしまった」とあえて書いたのは、その開催目的がいまだに釈然としないままだからだ。
当初、安倍前首相や菅首相は復興五輪、コンパクト五輪を訴えていたが、いつのまにか看板が「人類がコロナに打ち勝った証し」や「安心・安全」にすり替えられている。
ならばなぜ無観客なのか。緊急事態宣言下でも選手村で感染者や濃厚接触者が相次いでいるではないか。国立競技場ではスタッフとして働く外国人による性的暴行事件まで起きている。
そもそも東京オリンピック開催がなぜ人類がコロナに勝った証しといえるのか。世界ではまだ感染が拡大している地域も多い。こういうのを誇大広告、あるいは事実誤認というのだろう。
近代オリンピックの始まりは1896年、フランスのクーベルタン男爵が古代ギリシャの平和の祭典を復興させようと提唱したことからだった。その基本精神はアマチュアリズムとフェアプレーである。
しかし時がたつにつれ、ふたつの世界大戦の影響もあり、政治が大きく影を落とすようになる。
例えば、ミュンヘン大会テロ事件やアフガン戦争中の東西の出場ボイコット合戦だ。ヒトラー政権下ではベルリン大会が露骨な国威発揚に利用された。聖火リレーはこの時から始められ、後日そのルートをドイツ国防軍が侵攻のために使ったという逸話さえある。
オリンピックの「黒い輪」を
受け継いだバッハ会長
最大のターニングポイントは1984年のロサンゼルス大会だろう。財政がひっ迫したIOCはメジャーリーグ(MLB)コミッショナーで商売上手のピーター・ユベロスを大会組織委員長に抜てきし、企業スポンサーを認め、観客を呼べるプロ参加を解禁、人気競技優先し、テレビ放送権料やスポンサー企業から莫大な協賛金を集めたのだ。聖火ランナーまで有料だった。
これを境に平和の祭典は世界最大のショービジネスと化したのである。
当時、私は開会式を取材していた。抜けるような青空だった。ロナルド・レーガン米大統領による開会宣言、ジェット・パックを背負った宇宙飛行士によるスタジアム内の飛行、数え切れないほどのピアノによるラプソディ・イン・ブルーの同時演奏。ハリウッド顔負けの豪華な演出はメモリアル・スタジアムに集まった10万人の観客を魅了した。
しかし、その華々しいスペクタクルはオリンピックが権力と金とクスリにまみれた商業イベントに堕落した虚飾の祭典だったのだ。
ロス五輪は税金を使わず400億円の黒字で終了した。そのため「オリンピックはもうかる」との思惑から立候補都市が急増。過度な招致合戦によるIOC委員に対する接待や賄賂、より派手なパフォーマンスを狙った選手のドーピングなどの問題が表面化した。
そんなオリンピック・ビジネスの頂点に立ってぜいたくざんまいで我が世の春を謳歌(おうか)していたのが国際スポーツの帝王で、国際オリンピック委員会(IOC)会長として21年間君臨したスペインのファン・アントニオ・サマランチだったのである。
彼のそばで甘い汁を吸っていた黒幕がいた。国際サッカー連盟(FIFA)会長であるブラジルのジョアン・アヴェランジェと、オリンピックの花形である陸上競技の世界を操るボス、イタリアのプリモ・ネビオロ国際陸上競技連盟(IF)会長である。彼らはオリンピック・マフィアとさえ呼ばれた。
そんな「黒い輪」をサマランチから受け継いだのがベルギーのジャック・ロゲ会長であり、現在のドイツのトーマス・バッハ会長なのだ。米ワシントン・ポスト紙記者が彼のことをコラムで「ぼったくり男爵」と呼んだのもうなずける。
そんな商業五輪の醜い裏舞台は2人の英国人ジャーナリストによって出版された『The Lords of the Rings(オリンピックの貴族たち)』(1992年)で余すところなく暴露されているから、興味のある方は一読をお勧めする。
大きな経済効果という幻想と
肥大化の弊害
肥大化の弊害も現れた。ホスト国の政治家はオリンピックが大きな経済効果をもたらすと主張したが、大金を投じて建設した五輪競技会場やホテルなどは大会後に需要が激減し「負の遺産」として開催都市に重くのしかかった。2016年開催されたリオ五輪にいたってはスタジアムや五輪公園もすでに廃虚と化している。五輪開催に手を上げる都市が減っているのは当然だろう。
2004年のアテネ五輪を取材したとき驚かされたのは報道陣の多さだった。世界のトップ・アスリートが集まるのだから当然といえばそれまでだが、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、通信社などの記者や技術者が集まった市内の特設プレスセンターは、少し大げさに言えばデパートのバーゲン会場のようだったのである。
調べてみたら、1912年のストックホルム大会のときのジャーナリストの数はわずか500人ほど。それがアテネでは1万2000人以上に膨れ上がっていた。加えて同じ数ほどのプロデューサーや放送技術者がいたから合計2万人以上。混雑は当たり前だった。
参加選手の数は1万500人だから、選手1人に2人のマスコミがいた勘定になる。テレビメディアと五輪が今や運命共同体となっていることを如実に表す数字だ。
バルセロナ大会で合計2万時間だった放送時間はシドニーで2万9600時間、そして世界から約300のテレビ局が集まったアテネでは3万5000時間に達した。これはもうテレビが五輪を乗っ取ったと言ってもいい。
「オリンピックは世界最大の広告宣伝媒体だ」
バルセロナ大会の開会式などをプロデュースしたルイス・バセット氏は、そう言ってはばからなかった。
IOCにひれ伏し
開催に踏み切る日本政府
五輪をテレビで見たという人の数は、ロサンゼルス大会が25億人。それがアトランタでは40億人に膨らんだ。
パルテノン神殿など極めてテレビ的な世界遺産の存在と、ヨーロッパ、米国にとって放送に都合がいい時差のおかげで、アテネ大会の視聴者数はさらに増えただろう。広告主にとってこんな有り難いことはあるまい。
競技スケジュールも、選手のコンディションではなく米国のテレビ放送時間に合わせて組まれるようになった。アスリートファーストなど虚構でしかない。
今やIOCの収入の5割がテレビ放映権、そして3割以上がスポンサー収入。チケット収入の占める割合は1割にすぎない。
アテネのテレビ放送権料はシドニーを上回る14億7000万ドル(1617億円)。このうち51%がIOC、40%がアテネ市に振り分けられたから、チケットなど売れなくてもよかったのだ。
選手のウエアやシューズは企業ロゴだらけ、記者会見場の背景にもスポンサーのロゴ入りボードが必ずといっていいほど置かれている。目に余る商業主義がオリンピック組織の腐敗を引き起こしている。
平和の祭典オリンピックがこれでいいわけがない。金と欲にまみれたメダル競争はいったい誰のためなのか。
ところが、国民の8割近くの反対の声を封殺し、数多くの飲食店を見殺しにした上、東京都も日本政府もIOCという「五輪クラブ」にただひれ伏して多額の税金を賭してまで無観客開催というぶざまな五輪開催に踏み切った。海外からの観光客も期待外れだ。
2020東京五輪の評価はこれからだが、世界中がウイルスと地球規模の闘いを繰り広げているさなかに開催された「コロナ・ゲームズ」として歴史に記されることは間違いない。
(国際ジャーナリスト・外交政策センター理事 蟹瀬誠一)
「湯の町湯沢平和の輪」は、2004年6月10日に井上 ひさし氏、梅原 猛氏、大江 健三郎氏ら9人からの「『九条の会』アピール」を受けて組織された、新潟県南魚沼郡湯沢町版の「九条の会」です。