安倍政権の7年8カ月は、すべての反動立法を強行成立させ、戦後70年近く守られてきた平和憲法の精神を踏みにじりました。自己中心、あるいは仲間中心に行って来た政治姿勢や諸々の行動は、社会のモラルを大いに毀損しました。
デフレ脱却を叫んで国費を湯水の如くに投じる「アベノミクス」に狂奔しましたが、何の成果もなくそれは投資家、富裕層、そして大企業の懐を潤しただけでした。
株価の維持のために国民の年金積立金を大々的に投資に使う体制も作りましたが、それらの資金を最終的にスムーズに回収できる方策(出口論)はいまも立っていません。国民の資産が無に帰す可能性も大ありです。
アベノミクスで積みあがった国の借金はGDPの2倍に達しましたが、その後始末は、原発事故などと同様に全て国民の負担で行うことになります。
その一方で、トランプの言うがままに役に立たない米国製兵器を爆買いし、軍事費は右肩上がりに増大しました。第2次政権発足以来8年連続で前年度を上回り、6年連続で過去最高を更新しています。安倍政権はトランプに媚びへつらうためには国益を害することを全くいといませんでした。
自ら「100年に一度の国難」と称したコロナ禍にも、何一つ有効な手を打たなかったのはご存知の通りです。
しんぶん赤旗が、「安倍政権 7年8カ月の軌跡 ~ 」とする記事を出しました。
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安倍政権 7年8カ月の軌跡 市民と野党の共闘で政治の転換はかるとき
しんぶん赤旗 2020年8月29日
安倍晋三首相は28日の記者会見で辞任を表明しました。第2次安倍政権の7年8カ月の軌跡は憲法と民主主義を踏みにじり、国政を私物化し、増税と社会保障削減などで国民に負担を押しつける政治でした。
戦争法・改憲に固執
「最高の責任者は私だ」(2014年2月12日)。こう豪語した安倍晋三首相は、2012年12月の第2次政権発足以来、立憲主義を破壊し続けてきました。
安倍首相は辞任表明の首相会見でもやり残したことの筆頭に「憲法改正」を挙げ、改憲への執念を強調。立憲主義破壊の中心は9条改憲による「戦争できる国」づくりです。
安倍首相は就任直後の13年の通常国会から「改憲」を口にし、14年7月には「閣議決定」で、海外での米国の戦争に参加できるようになる集団的自衛権の行使を容認。60年以上積み上げられてきた政府の憲法解釈を180度転換しました。その具体化である安保法制=戦争法は、空前の規模の国民の反対を押し切って強行(15年9月)されました。
さらに17年5月3日には「20年を新憲法施行の年にしたい」と述べ、9条2項を空文化して無制限の海外での武力行使に道を開くことを狙って「自衛隊明記」の9条改憲を提案。「特定秘密保護法」(13年12月)の強行で国民の知る権利と表現の自由を破壊し、「共謀罪法」の強行(17年6月)で内心を処罰し国民監視体制をつくってきました。
その一方で、憲法53条に基づく野党の早期の臨時国会召集の要求(17年6月、20年7月)には全く応じず、那覇地裁は内閣が召集要求に応じないことを「違憲」とする可能性を示しめす判決を下したのです。
私物化 疑惑答えず
安倍政権のもとで、「国政私物化」をめぐる問題が噴出しました。総理会見でも国民の疑念にまったく答えませんでした。
「森友・加計」疑惑はその典型です。国有地を不当な安価で払い下げた森友問題では、安倍首相の「私や妻の昭恵が関係していれば、首相も国会議員も辞める」(17年2月17日の国会答弁)という発言を契機に、官僚がつじつま合わせに躍起になりました。
首相と理事長が親密な関係にあった「加計学園」の獣医学部開設の問題とともに、首相の発言につじつまを合わせるために国会で虚偽答弁が繰り返され、公文書の改ざん・隠ぺい、廃棄などの民主主義破壊が横行しました。
ますます深刻な様相をあらわにしたのは首相主催の「桜を見る会」問題です。税金を使った公的行事に自分の後援会員らを多数招待し“接待”する「税金の私物化」を行いました。
さらに自身への疑惑が深まるなかで、検察幹部の人事に介入しました。「官邸の守護神」と呼ばれた東京高検の黒川弘務検事長(当時)の勤務延長を認める違法な閣議決定を強行し、司法の独立を脅かす検察庁法改悪まで狙いました。
公職選挙法違反で逮捕・起訴された前法相の河井克行衆院議員、妻・案里参院議員の大規模買収事件をめぐっては、安倍首相をはじめ政権中枢の責任につながる疑惑も取り沙汰されています。結局、安倍首相は一切の説明責任も果たしていないままです。
コロナ 混迷と無策
新型コロナウイルス感染症の拡大に対して、安倍政権は、学校の一律休校要請で全国に混乱を広げ、「アベノマスク」の配布では国民の不信を招きました。緊急事態宣言を発令し休業要請を出しましたが、「自粛と一体の補償」という国民と野党の要求に応えませんでした。
安倍政権の国民生活への支援策は後手後手の対応でした。1人あたり10万円を支給する給付金をはじめ、雇用調整助成金の特例措置の拡充、家賃支援給付金などの支援策は野党の提案・追及によって実現しました。
安倍政権は、7月以降の感染急拡大に対しても、まったく無策でした。2カ月半ぶりの会見となった総理会見で、検査能力の抜本的強化を表明したものの、取り組みの方法としては自治体任せの姿勢はかわりません。深刻化する病院の減収を補てんする姿勢も総理会見で「万全の支援」を表明したものの明確な方法を示すことはできませんでした。
一方で、安倍政権は7月22日に観光需要喚起策「Go Toトラベル」を前倒しで実施。人の移動を促進し、感染拡大の懸念が専門家や自治体から表明されている中で強行しました。
消費税2回も増税
安倍政権は経済政策「アベノミクス」の大胆な金融緩和などで大企業や富裕層をもうけさせる一方で、2度にわたる消費税増税や社会保障費削減で国民に負担を押しつけ、暮らしと経済を痛めつけ、貧困と格差を拡大させてきました。
安倍首相は、所得の低い人ほど負担が重い逆進性の強い消費税を“社会保障のため”などとして、2014年4月に税率5%から8%へと増税。その結果、増税前に比べて家計消費が年20万円も落ちこむなど景気に悪影響を与えました。にもかかわらず、19年10月に8%から10%への増税を強行し、さらに消費不況を深刻化させました。2度にわたる増税額は合計13兆円で、歴代自民党政権でも最大規模です。
一方、高齢化などによる社会保障費の自然増分の削減を続けてきました。憲法25条が保障する「健康で文化的な生活」をおくるための生活保護費も連続的に引き下げ、削減総額は年1480億円にもなります。年金も医療も介護も改悪しています。
コロナ危機で医療体制の脆弱(ぜいじゃく)性が明らかになる中、安倍政権が7月にまとめた「経済財政運営と改革の基本方針」(骨太方針2020)では「公立・公的病院の再編・統合の促進」を継続する姿勢です。
安倍政権はまた、労働法制も改悪。過労死を促進する残業代ゼロ制度(高度プロフェッショナル制度)を盛り込む「働き方改革」一括法を成立させています。
米国いいなり政治
「日本を取り戻す」。安倍首相は第2次政権発足当時のスローガンとは真逆の、戦後最悪の「アメリカいいなり政治」を続けてきました。
首相が真っ先に着手したのが“血の同盟”―「米国と海外で戦争する国」づくりです。特定秘密保護法の強行、武器輸出三原則の撤廃を経て、歴代政権が憲法上、禁じてきた集団的自衛権の行使容認を「閣議決定」。15年9月、圧倒的多数の国民の反対を踏みにじり、安保法制=戦争法を強行しました。
これと並んで際立つ民意無視が、沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設です。県知事選や県民投票など、幾度となく示されてきた「新基地ノー」の県民の民意を無視し、15年10月以降、歴代政権として初めて埋め立て・土砂投入を強行しました。
17年1月のトランプ米政権発足以後、「アメリカいいなり政治」はさらに加速。F35ステルス戦闘機や陸上イージスなど米国製武器の“爆買い”が続き、軍事費は右肩上がりに。第2次政権発足以来、8年連続で前年度を上回り、6年連続で過去最高を更新しました。
世界で唯一の戦争被爆国でありながら、米国の「核の傘」にしがみつき、核兵器禁止条約への署名・批准を拒否してきたことも恥ずべきことです。
屈辱の外交 対中ロ
「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」。安倍首相はこう標ぼうし、首脳外交に力を注いできましたが、米国に加え中国・ロシアなどへの屈辱的な姿勢が際だちました。
なかでも、「戦後外交の総決算」と称して臨んだロシアとの領土問題では、歴代政府の方針だった「4島返還」の方針さえ投げ捨て、事実上の「2島決着」での決着に踏み込みました。
中国は南シナ海や東シナ海で覇権主義的な行動を強め、香港やウイグルで深刻な人権侵害を繰り返し、国際的に批判が高まったものの、首相は習近平国家主席の国賓としての来日に固執し、一切の批判を封印。新型コロナウイルスへの対応でも、中国からの入国制限が遅れ、感染防止に否定的な影響を与えました。
一方、侵略戦争と植民地支配の美化という安倍政権の姿勢のもとで、日韓関係は「戦後最悪」といわれる状況に陥りました。
「政権の最重要課題」である日本人拉致問題も動きませんでした。北朝鮮の核・ミサイルをめぐっては、外交による解決を妨害。軍拡や安保法制の強行の口実にしてきました。
安倍政権、立憲主義破壊の8年間
立場の違い超え国民結集
安倍政権による立憲主義破壊、国政私物化、生活破壊の8年間は、立場の違いを超えて国民が幅広く結集する「市民と野党の共闘」が発展した8年間でもあります。
「野党は共闘!」。このコールが響いた2015年の安保法制に反対する運動は、約12万人が集った国会前の抗議行動はじめ国民的運動の大きな節目となりました。若者、学者、「ママ」ら市民が全国で自発的に声をあげ、列島騒然の状況をつくり出しました。これを受け、日本共産党は「国民連合政府の樹立」を呼びかけました。
この運動を基盤に「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」が結成され(同12月)、全国各地で小選挙区レベルでの共闘体制も構築されました。
16年の参院選では、史上初めて日本共産党を含めた野党の選挙共闘が全国で実現し、全国11の1人区で勝利。19年には10選挙区で勝利し、参院での改憲勢力3分の2を打ち破ったのです。
市民と野党の共闘は今、安倍政治を転換する大きな力として成長してきています。