ジャーナリストの尾中香尚里氏が、安倍首相が辞意を表明した28日の記者会見で、はじめのところで触れた「コロナ対策パッケージ」を取り上げました。
辞意の表明とセットである以上それなりの実効性と重みがあって欲しいわけですが、そういう内容ではないというものです。
他ならぬ安倍政権の責任者がこの期に及んで「重症者治療への医療資源の重点化」を強調しても、コロナ問題が安倍政権の最重要課題に浮上してから半年、政権が医療提供体制の充実に全身全霊をかけて取り組んだ形跡は、全く見えなかったとして、それが軽症者(や無症状者)の隔離などのケアの放棄に結びつくものであれば、コロナ感染対策の上で何の意味も持たないというわけです。
一体安倍首相はその意味を分かっているのでしょうか。
また「来年前半までに、すべての国民にワクチンを提供できる」云々という表現も、いかにも「ワクチンさえ完成すればコロナは収束」と見ているかのようで、大いに違和感を持ちます。そんなメデタシ・メデタシ路線でいいのかと。
以下に紹介します。
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辞任会見で語ったコロナ対策は大丈夫なのか 残り任期わずかの安倍首相に望む
全国新聞ネット 共同通信 2020/08/29
安倍晋三首相が28日、記者会見で辞意を表明した。持病の潰瘍性大腸炎の悪化が理由だという。重い病気と闘う首相の重責から解かれたら、以後はしっかりと治療に専念し、自身の健康を回復してもらいたいと願う。だが、それと政権の評価は別の問題だ。まして今は、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、多くの国民が直接の病によって、あるいは経済的、社会的に甚大な影響を受けたことによって苦しんでいる。それは首相の苦しみに勝るとも劣らないはずだ。首相もそれを理解しているからこそ、辞意表明会見の場で「秋から冬にかけての新型コロナ対策」を発表する、という異例の対応をとったのだろう。
そこで、ここでは辞意表明ではなく、同時に打ち出されたコロナ対策にあえて焦点を当てたい。「安倍氏はまだ首相を正式に辞任していない」ことを、私たちは忘れてはいけないと思う。(ジャーナリスト=尾中香尚里)
個別のコロナ対策の一つ一つについて、専門性をもって評価することは、誰にとっても難しい。ただ、時の政権が「その政策を選んだ理由」に目を凝らせば、その政権が国民をどう見ているか、社会をどの方向に持って行こうとしているか、ざっくりと感じ取れることがある。
首相は「保健所や医療機関の負担軽減」のため、重症化リスクの高い高齢者などに医療支援を重点化する方針を打ち出した。こうした方向性は従来から示されていたが、インフルエンザが流行する秋冬に向けて、その方針を強化する。軽症者や無症状者は、宿泊施設や自宅での療養をさらに徹底するという。
「インフルエンザ流行期にも十分な医療提供体制を必ず確保致します」。安倍首相が会見で語ったこの言葉に、筆者は強い違和感を抱いた。これは「不足している医療提供体制を拡充して国民の安心を確保する」という話ではない。逆に「現在の不十分な医療提供体制に合わせて、治療する患者の数の方を減らす」という話ではないのか。
そもそも、安倍政権はコロナ問題で、医療提供体制の充実にどれほど真剣に取り組んだのか。
緊急事態宣言の発出(4月)によって、安倍政権は仮設病院を建設するために民間の土地や建物を収用できる強い権限を得た。もし安倍政権がこの権限を使って民間の宿泊施設などを借り上げ、陽性の人が安心して一時的に待機できる仮設病院や施設を確保した上で、疑わしい症状のある人に可能な限りのPCR検査を施し、陽性者を速やかに隔離する措置をとっていたら、感染の拡大はもう少し抑えられ、今さら「医療資源の重点化」を強調しなくてもすんだのではないか。
もちろん、これらの措置には大きな私権制限が伴う。政治権力が乱発すべきものではない。しかし「権力を国民のために使う」という意識をしっかり持ち、借り上げに協力した施設などに十分な補償を行うなどの腹を決めて臨んでいれば、国民の理解を得られる可能性は十分にあったと考える。
安倍首相が辞意表明会見を行った28日、東京都では新たに226人が新型コロナウイルスに感染していることが確認された。このうち約4割の88人が、これまでに感染が確認された人の濃厚接触者であり、その半数近い39人が家庭内感染だ。
同居する子供や高齢者への感染を恐れて不安を抱く国民に対し、家庭内感染のリスクにさらす自宅待機を強いれば、国民に過度な負担をかけることになる。また、結果として家庭内感染が広がれば、当初の目的であったはずの「医療機関の負担軽減」にもつながらないのではないか。
ここまで書いてふと「選択と集中」という言葉を思い出した。
7年8か月にわたる第2次安倍政権において、さまざまな政策分野で繰り返し聞いた言葉だ。大学教育しかり、地方分権しかり。有り体に言えば、限られた財源や人的資源を政権が選んだ特定の対象に重点的に投入することである。それは、ときに選ばれた対象以外を切り捨てることでもある。
今回のコロナ対策における「重症者治療への医療資源の重点化」も「選択と集中」の一環と言っていい。緊急事態宣言を発出した際に、営業自粛を余儀なくされる店舗への補償について、売り上げの減少幅に細かい条件をつけて対象を絞り込もうとしたのも、同じ流れの中にあると言えるだろう。
確かに、現状で限られた医療体制を効率的に活用する必要があることは、頭から否定すべきではないのかもしれない。しかし、コロナ問題が安倍政権の最重要課題に浮上してから半年、政権が医療提供体制の充実に全身全霊をかけて取り組んだ形跡は、とうとう見えなかった。
政権として不十分な医療提供体制を放置しておきながら、今さら「選択と集中」を持ち出して、国民の医療を受ける権利に縛りをかけるのは、無責任と言われても仕方がないのではないか。
このほか目についたものと言えば、あとはワクチンについて「来年前半までに、すべての国民に提供できる数の確保を目指す」とした点くらいだろう。「秋冬向けの政策パッケージ」と銘打つには、あまりにも各分野における政策が薄いのだ。
ワクチンの安全性などの議論はとりあえず脇に置くとして、そもそも来年前半までにワクチンの開発が終了するかどうかは見通せない。百歩譲ってワクチンで魔法のように感染拡大を抑えられたとしても、壊れかけた社会や経済を立て直すには、もっと地道で目立たない施策の積み上げが不可欠だ。
にもかかわらず安倍政権は「ワクチンさえ完成すればコロナは収束」とみて、その他のさまざまなコロナ関連対策にきめ細かく取り組む姿勢を、全く失っているようにしか見えなかった。
病気で退陣する首相の施策にずいぶんと批判的なことを書いてしまったが、首相の快復を願うことと、首相の政治を批判することは、両立しうるし、そうすべきだと考える。「お疲れさま」「お大事に」の空気に流され過ぎてはいけない。
安倍首相は今回のコロナ対策について「後任への道筋をつけた」というつもりでいるのかもしれない。だが、国民生活に影響が大きい方針を打ち出すのと同時に、自らは辞意を表明し、そのまま国民の疑問に答えない、というのは、このコロナ禍において誠実な態度とは言えない。
こうした施策は本来、国会での真摯な論戦のなかで丁寧に説明がなされるべきものだ。首相は記者会見で「次の総理が任命されるまでの間、最後までしっかりとその責任を果たす」と述べた。後任が決まるまでには軽く半月はかかるだろう。臨時代理を置かないと自ら決めた以上、フルで働くことが仮に難しいとしても、後任決定までは首相の職責を果たせると踏んだはずだ。
「体調に無理のない範囲で」という条件はもちろんあっていいが、首相は後任が決まるまで、1度は国会の閉会中審査に出席し、置き土産となるコロナ対策に国会の理解を求める努力をすべきだ。今はコロナ禍という国難の時である。ここは最後までしっかりと責任を果たしてほしい。
なお、今回は言及しなかったが、退任後に体調が万全になったところで、森友・加計問題や、首相主催の「桜を見る会」問題など、政権に向けられた数々の疑惑にも、国会で応える場を設けるべきだということを申し添えておきたい。
体調不良による辞任であれば、政権当時のことはすべてリセットされる、などということはあり得ない。そのことも肝に銘じてほしい。