昨年大々的に展開された香港の民主化デモは、香港政府が逃亡犯引き渡し条約の改定を目指したことに対するものでした。香港は既に20か国と引き渡し条約を結んでいますが、台湾とは結んでいなかったため、18年に台湾で殺人事件を起こし香港に戻った人間の引き渡しが出来ませんでした。
そのため条約国を拡大する改定案を作ったのですが、そこに中国が含まれていたため反対運動がおこり、巨大デモに発展したのでした。それに対して香港政府はデモを規制できるように国家安全法を改正しようとしたのですが、それは火に油を注ぐ結果となりました。
デモは警官側の規制に反発するなかで次第に暴力的なものに変わり、リーダーがメディアに予め衝突場所を示し衝突を大々的に報道させるようになったといわれています。
デモの指導者たちが英米の諜報機関の財政援助を受け、折に触れて指導を受けていることは、櫻井ジャーナルなどが繰り返し報じてきました。
ブログ「世に倦む日々」が、「周庭逮捕と香港の民主化運動について ~ 」とする記事を出しました。独特の視点から香港の民主化運動について深く考察しています。
最大200万人ともいわれた巨大デモが最後に暴力化した点について、「1970年代の新左翼(極左)の過激行動と類似していた」という記述にはうなずく人が多いのではないでしょうか。
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周庭逮捕と香港の民主化運動について - 「民主の女神」周庭とは何者なのか
世に倦む日々 2020-08-13
周庭逮捕の事件が韓国でどう報道され、どのような論評と反応が出ているか関心があったが、ネットを検索するかぎり全く確認することができない。ハンギョレや中央日報の日本語サイトを覗き見たが、何も記事が上がっていなかった。やはり、周庭の問題で大騒ぎになっているのは日本だけのようだ。香港の人々の受け止め方については内実はよく分からない。5月に香港ポストに載った情報では、意外なことに、電話世論調査で52%が国家安全維持法に賛成と回答したとあり、香港の中の複雑な状況を窺わせていた。もっとも、6月にロイターが行った世論調査では反対が56%と出ていて、ここでは逆の常識的な結果が表れていて、香港ポストが報じた内容を打ち消している。ただし、民主化デモへの支持は3か月前より減少し、親中派への支持が増え、民主派への支持が低下している傾向が明らかとなった。香港の民主化運動は、現時点での総括を言えば、やはり失敗だったと言わざるを得ない。
昨年の中国本土への容疑者移送の条例改正に反対する抗議行動そのものに問題があったと私は考えている。最初から奇妙だった。突然、香港の議会(特別行政区立法会)に乱入した覆面姿の暴徒の若者たちが議事堂を破壊、黒いスプレーで正面壁の香港旗に落書きして塗りたくり、さらに議長席に英国統治時代の旗を掲げ、それを動画撮影してSNSで世界に発信し示威していた。この破壊行為は、単に逃亡犯条例に反対して民主化を要求するというよりも、香港返還の意義そのものを否定する行為であり、植民地香港を回復した中国の主権を陵辱する蛮行だ。香港の市民たちの多くが、やりすぎだと感じただろうし、心を傷つけられる思いをした者も少なくなかっただろう。大陸の中国人たちは無条件に反発して憤慨し激高したに違いない。中国の近代史はアヘン戦争の屈辱から始まっている。香港は外国列強に侵略蚕食された原点の地であり、象徴的な領土であって、その主権を奪還することは中国と中国人の悲願だった。
その意味で、昨年の香港の民主化デモは最初から戦略と手法が間違っていたし、路線が誤っていたと言わざるを得ない。香港の民主化で成果を着実に得るためには、世論の多数の支持を得なくてはならず、何よりも大陸の中国人の共感を受ける運動を推進しなければならなかった。中国の内部を変え、中国共産党の内側に共鳴盤を築くことで、習近平の香港仕置きの暴政をストップさせ、少しずつ雨傘革命前の一国二制の原状を取り戻す道程を歩む必要があった。それは可能だっただろう。リーダー次第で、運動次第で、それは可能だったし、大陸の中国人の多くはその方向性を望み、香港の抗議運動を期待して見守っていたはずだ。香港の民主化は大陸の民主化に直結し連動した問題だった。だが、実際のところは、香港の民主化団体はそれを最初からぶち壊しにしていたのであり、漸次的な改革や対話を通じての成果獲得は寸毫も眼中にないかの如くだった。香港返還の歴史的意義を否定し、それを実現した中国共産党の業績を全否定していた。
大陸の中国人は大いに幻滅しただろうし、香港民主派への支持や期待をやめ、運動団体の背後に米国と英国の影があることを察知し、米中対立の紛争の材料として香港問題が利用されている陰謀を直観しただろう。このままだと香港が分離独立で奪われると考え、人民解放軍による武力制圧も辞さずの想定と覚悟に及んで行ったと想像する。中国人からすれば、トランプ政権による経済制裁はきわめて理不尽で、PRC(People's Republic of China)の崩壊解体を目論む脅迫と圧力は許容できない暴力だ。昨年の香港の民主化運動は、最初から平和的な妥協的解決を捨てていて、つまりは現実的な民主化の目標とシナリオを持っていなかった。彼らが支持と共感を求めたのは、大陸の中国人ではなく、もっぱら欧米と日本の外国人であり、彼らが言う「国際社会の支持」とは、米中対立の中で米国に与することであり、PRCをイデオロギー的に攻撃することだった。運動の中身は悉く反中反共運動だったのであり、むしろ積極的に中国政府を挑発し、人民解放軍による武力侵攻を歓迎して誘導しているような印象さえ受けた。
昨年後半、香港警察の取締りが厳しくなると共に民主化デモは下火になったが、下火になると共に行動は過激化し、公共物の破壊毀損を含めた挑発と暴動が目立つようになった。70年代の新左翼(極左)の過激行動と類似していた。周庭が日本のマスコミに言うところの「国際社会の応援」とは、畢竟、日本人の中国憎悪のボルテージを上げることであり、中国に対する敵意と害意を昂揚させることに他ならない。日本のマスコミにおける周庭の思想的位置は、ちょうど北朝鮮への憤怒を煽った横田早紀江と相似形である。配役が同じであり、敵国への憎悪を扇動するシンボル・アジテーターである。周庭の要請に従って日本人が中国への憎悪と非難を高めたところで、香港の民主化には何も寄与も貢献もしない。民主主義で重要なのは民意であり、民意の多数を握れるかどうか、多数の心を動かせるかどうかだ。反共反中のブロイラーを周庭のプロパガンダ飼料で増やし、怒声と轟音を高めても、中国や香港の政治を変える方向には繋がらない。逆に中国人から不信と不興を買うだけで、香港民主派の立場を悪くするだけだ。
香港民主化運動の活動家たちは、なぜ立法会を破壊し、香港旗に落書きする侮辱行為ができたのだろう。香港と中国の歴史を全否定することができ、その暴徒行動に躊躇や葛藤を覚えることがなかったのだろう。気になる情報として、香港の民主化運動の背後にNED(全米民主主義基金)などの米国シンクタンクの存在があり、資金援助の関係があるという噂がある。噂と言っても、国家のスポークスマンである華春蛍が正式な会見で発言しているのだから、それなりに事実的根拠のある外交上の批判と警告と考えていいだろう。これら米国シンクタンクは、米国が潰そうとする敵性国に入って諜報機関として活動し、東欧・コーカサス・中央アジアのカラー革命の糸を引き、中東(シリア・イラン)でも暗躍してきた。反米政権の弱体化と転覆を目的とするCIAのデリバティブ(=金融派生商品)的な工作組織である。NEDは、香港の民主化団体だけでなく、台湾のひまわり運動にも関与していたという情報がある。真偽は不明だが、私には腑に落ちる部分があり、一つの絵として繋がる感覚を否めない。
台湾のひまわり運動も国会(立法院)に乱入した。乱入して占拠した。その6年前の学生運動は、民主主義運動の美談として積極的に評価されて総括されている。だが、私には違和感が残り、国権の最高機関であるはずの国会に、なぜ簡単に土足で乱入して占拠などすることができるのだろうという疑問が消えなかった。国家の権威と尊厳を失墜させる行為である。国際社会の中で地位が不安定な台湾(中華民国)としては、それは恥辱であり、統治の不全を示す失態であり、やってはいけないことだった。衛士が速やかに排除するべきだった。想起するのは、カラー革命の共通する態様が、こうした議会占拠とか大統領官邸占拠の「革命」を特徴としていたことだ。冷戦終結後の米国の他国への振る舞いの特徴は、そうした国家の神聖な最高価値表象を軽々しく踏みにじり、蹴散らし、侮辱して貶めるところにある。ハリウッド映画作品にもよく登場して、何度も不愉快な思いをさせられた。他国の尊厳を傷つける。粗暴に傷つけながら、他国の人間の精神を米国人化する。押しつけて慣れさせる。
結局、香港は、人民解放軍の武力突入の代わりに国家安全維持法を選ばされた。流血の代わりに自由剥奪の弾圧法制を引き受けさせられた。林鄭月娥の苦汁の言い訳はそんなところだろう。無論、悪いのは習近平政権に決まっていて、香港の人々の側に責任はない。けれども、そういう絶望の選択に持っていかないように、手前で食い止めるのが政治をする者の使命であり、智恵を絞って策を積み重ね、創意工夫で具体的提案を繰り出し、譲歩と一致を引き出し、最悪の事態を防ぐのが政治運動家の責務というものだ。昨年の香港の民主派活動家たちには、そうした柔軟な側面がまるでなく、抗議と衝突と対外宣伝のみの一直線だった。香港政府を苦境に追い詰め、 政治にアマチュアのお嬢様の林鄭月娥に妥協と宥和を断念させて、習近平の強硬路線に逃げ込んで保身する旋回へと嗾(けしか)けるのみだった。対話を図ろうとして名乗り出る代表者がいなかった。最後まで出て来なかった。そして、自分たちにはリーダーはいないだの、指導者のないクラウドだの、新しい政治運動にリーダーは不要だの、しばき隊みたいな安っぽいセリフを垂れている。
対話の実現を模索して名乗り出る者が現れなかった。要求のハードルを調整して、北京を相手にしたたかな駆け引きに出る者が出なかった。昔の日本の過激派(極左)を彷彿させる暴力的街頭行動ばかりが展開されるので、私はそれを見て、これはやはり米国が裏で絡んでいるなと推断した。黄之鋒の達観した表情を見ても、ロンドンへ逃げた羅冠聰の乾いた口調からも、最初から中国政府を交渉の相手にしておらず、拒絶と否定と罵倒ばかりで突き放している。欧米・日本の耳目を香港に引きつけて、国際世論を盛り上げて中国を締めつけることだけが目的だ。中国共産党政権の瓦解と打倒だけを狙っている。ウェーバーが残した至言を彼らが知らないはずがないが、日本のマスコミ人には忘れている者もいるのでノートしよう。
政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。もしこの世の中で不可能事を目指して粘り強くアタックしないようでは、およそ可能なことの達成も覚束ないというのは、まったく正しく、あらゆる歴史上の経験がこれを証明している。しかし、これをなしうる人は指導者でなければならない。いや、指導者であるだけでなく、― はなはだ素朴な意味での― 英雄でなければならない。 (岩波文庫 P.105)
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最後に、周庭の弁護士はなぜ登場して説明しないのだろう。法の野蛮さと無効性は誰でも承知するところだが、弁護士にも出て来てもらって、彼女の無実潔白を明言してもらいたい。まさか、後から、実はSNSの別アカウントで7月以降も日本の誰かと接触し、クリティカルな情報交換に及んでいたなどと、そのような告発を受けることはないと確信させてもらいたい。それと、彼女の両親のコメントがないが、どういう職業と身分の人物なのだろう。紹介が一行もない。日本のマスコミが調べて伝えようとしないのは不思議だ。周庭の日本語はきわめて秀逸で、23歳でここまで上達している例はあまり見ない。本人の弁では、アニメの趣味の延長で覚えたと言うが、私の推測では、確実に正規の教育課程で指導を受けている。レッスンなしに、個人の趣味であそこまで完璧な語学能力は修得できない。そこらの日本の高校生や大学生よりも国語(日本語)の試験の点数は上だろう。構文の組み立てに才があり、瞬時に次々と語彙を探り当てて表現を掘り出す。論理と主張を構成し、的確で説得的な日本語のトークを作っていく。
あざやかで呆然としてしまう。惑溺させられる。魅力的で蠱惑的なキャラクター。日本語と漢語の文化的差異を理解し、そこに興趣を感じて研究している言語態度がある。オーラルもいい。文章もいい。オーラルも、テキストも、敢えて、自分の日本語能力の水準と教育環境の秘密を隠すような、素人を演出するポーズを繕っているように見える。