2020年8月9日日曜日

長崎平和宣言

 長埼平和祈念式典田上富久市長は平和宣言を読み上げ、3年前に国連で採択されて日本がまだ批准していない核兵器禁止条約への早期署名・批准を引き続き求めるとともに、原爆症に苦しむ被爆者援護の拡充や、被爆者と認められない「被爆体験者」の救済も要望しました。
 宣言の途中、被爆体験の語り部活動を続ける被爆者に10秒ほどの拍手を送る時間を初めて設けました。
 毎日新聞が伝えました。

 長崎平和宣言の全文を紹介します。
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長崎平和祈念式典終わる 原爆投下75年
毎日新聞 2020年8月9日
 長崎市への原爆投下から75年の9日、同市の平和公園で平和祈念式典が開かれた。今年は新型コロナウイルスの影響で参列者が例年の1割程度の約500人に限定された。参列者は原爆投下時刻の午前11時2分に合わせて黙とうをささげた。

 長崎市の田上富久市長は式典で平和宣言を読み上げ、新型コロナウイルスを核の脅威に例えて一人一人が問題の当事者だと呼びかけた他、3年前に国連で採択されて日本がまだ批准していない核兵器禁止条約への早期署名・批准を引き続き求めた。原爆症に苦しむ被爆者援護の拡充や、国の指定地域外で被爆して被爆者と認められない「被爆体験者」の救済も要望した。

 宣言の途中、被爆体験の語り部活動を続ける被爆者に10秒ほどの拍手を送る時間を初めて設けた。【松村真友】


2020 長崎平和宣言

 私たちのまちに原子爆弾が襲いかかったあの日から、ちょうど75年。4分の3世紀がたった今も、私たちは「核兵器のある世界」に暮らしています。
 どうして私たち人間は、核兵器をいまだになくすことができないでいるのでしょうか。人の命を無残に奪い、人間らしく死ぬことも許さず、放射能による苦しみを一生涯背負わせ続ける、このむごい兵器を捨て去ることができないのでしょうか。
 75年前の8月9日、原爆によって妻子を亡くし、その悲しみと平和への思いを音楽を通じて伝え続けた作曲家・木野普見雄さんは、手記にこうつづっています。
 私の胸深く刻みつけられたあの日の原子雲の赤黒い拡(ひろ)がりの下に繰り展(ひろ)げられた惨劇、ベロベロに焼けただれた火達磨(ひだるま)の形相や、炭素のように黒焦げとなり、丸太のようにゴロゴロと瓦礫(がれき)の中に転がっていた数知れぬ屍体(したい)、髪はじりじりに焼け、うつろな瞳でさまよう女(ひと)、そうした様々な幻影は、毎年めぐりくる八月九日ともなれば生々しく脳裡(のうり)に蘇(よみがえ)ってくる。
 被爆者は、この地獄のような体験を、二度とほかの誰にもさせてはならないと、必死で原子雲の下で何があったのかを伝えてきました。しかし、核兵器の本当の恐ろしさはまだ十分に世界に伝わってはいません。新型コロナウイルス感染症が自分の周囲で広がり始めるまで、私たちがその怖さに気づかなかったように、もし核兵器が使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、取り返しのつかないことになってしまいます。
 今年は、核拡散防止条約(NPT)の発効から50年の節目にあたります。
 この条約は「核保有国をこれ以上増やさないこと」「核軍縮に誠実に努力すること」を約束した、人類にとってとても大切な取り決めです。しかしここ数年、中距離核戦力(INF)全廃条約を破棄してしまうなど、核保有国の間に核軍縮のための約束を反故(ほご)にする動きが強まっています。それだけでなく、新しい高性能の核兵器や、使いやすい小型核兵器の開発と配備も進められています。その結果、核兵器が使用される脅威が現実のものとなっているのです。
 “残り100秒”。地球滅亡までの時間を示す「終末時計」が今年、これまでで最短の時間を指していることが、こうした危機を象徴しています。
 3年前に国連で採択された核兵器禁止条約は「核兵器をなくすべきだ」という人類の意思を明確にした条約です。核保有国や核の傘の下にいる国々の中には、この条約をつくるのはまだ早すぎるという声があります。そうではありません。核軍縮があまりにも遅すぎるのです。
 被爆から75年、国連創設から75年という節目を迎えた今こそ、核兵器廃絶は、人類が自らに課した約束“国連総会決議第1号”であることを、私たちは思い出すべきです。
 昨年、長崎を訪問されたローマ教皇は、二つの“鍵”となる言葉を述べられました。一つは「核兵器から解放された平和な世界を実現するためには、すべての人の参加が必要です」という言葉。もう一つは「今、拡大しつつある相互不信の流れを壊さなくてはなりません」という言葉です。
 世界の皆さんに呼びかけます。
 平和のために私たちが参加する方法は無数にあります。
 今年、新型コロナウイルスに挑み続ける医療関係者に、多くの人が拍手を送りました。被爆から75年がたつ今日まで、体と心の痛みに耐えながら、つらい体験を語り、世界の人たちのために警告を発し続けてきた被爆者に、同じように、心からの敬意と感謝を込めて拍手を送りましょう。
 この拍手を送るという、わずか10秒ほどの行為によっても平和の輪は広がります。今日、大テントの中に掲げられている高校生たちの書にも、平和への願いが表現されています。折り鶴を折るという小さな行為で、平和への思いを伝えることもできます。確信を持って、たゆむことなく、「平和の文化」を市民社会に根づかせていきましょう。
 若い世代の皆さん。新型コロナウイルス感染症、地球温暖化、核兵器の問題に共通するのは、地球に住む私たちみんなが“当事者”だということです。あなたが住む未来の地球に核兵器は必要ですか。核兵器のない世界へと続く道を共に切り開き、そして一緒に歩んでいきましょう。
 世界各国の指導者に訴えます。
 「相互不信」の流れを壊し、対話による「信頼」の構築をめざしてください。今こそ「分断」ではなく「連帯」に向けた行動を選択してください。来年開かれる予定のNPT再検討会議で、核超大国である米露の核兵器削減など、実効性のある核軍縮の道筋を示すことを求めます。
 日本政府と国会議員に訴えます。
 核兵器の怖さを体験した国として、一日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持してください。
 そして、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、未(いま)だ被爆者と認められていない被爆体験者に対する救済を求めます。
 東日本大震災から9年が経過しました。長崎は放射能の脅威を体験したまちとして、復興に向け奮闘されている福島の皆さんを応援します。
 新型コロナウイルスのために、心ならずも今日この式典に参列できなかった皆様とともに、原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意をささげ、長崎は、広島、沖縄、そして戦争で多くの命を失った体験を持つまちや平和を求めるすべての人々と連帯して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることを、ここに宣言します。
2020(令和2)年8月9日
長崎市長 田上富久