2020年8月23日日曜日

効果あったかに見えた日本のコロナ対策、なぜ惨状に(舛添要一氏)

 安部首相は5月25日に緊急事態宣言を終了させたとき、僅か1か月半でコロナを収束させたことに世界が驚嘆していると、ドヤ顔で「日本モデル」を自慢しましたが、実はそれには何の内容もなく、クラスター対策活動はとっくに破綻していたのでした。
 そもそも今度の新型コロナウイルス感染症では、東アジア全体が理由は不明ながら欧米に比べて人口当たりの死者数が圧倒的に少なかったのでしたが、その中で日本はワースト3の死者数だったのでした。決して自慢できるようなことではありません。

 さらに非難されるべきは、宣言終了後にPCR検査体制を大幅に拡充させるなどの対策を何もしないでいたことです。第1波のコロナの影響を受けて医療機関が軒並み赤字になったにもかかわらず、そこにも何の手も打ちませんでした。中国や韓国が行った隔離施設や病棟の建設や確保にも一切取り組みませんでした。
 宣言終了の時点でも特に首都圏は十分に沈静していたわけではなく、市中には未確認の感染者が多数いたので、感染拡大防止の手を打たずに規制を解いた途端に再び再拡大に転じたのでした。
 舘田一博感染症学会理事長19日、「日本は第2波の真っ只中」にいると述べましたが、当然の成り行きでした。保健所は厚労省・感染研からの要求でクラスターの追跡に莫大な努力を払っているようですが、感染拡大防止には実質的には殆ど役に立っていません。

 舛添 要一氏が「効果あったかに見えた日本のコロナ対策、なぜ惨状に」とする記事を出しました。舛添氏は政治学者ですが、かつて厚労相を経験しさらに東京都知事も経験しているので、その二つの視点から厚労省がどのように保健所を実質的に指導しているのかについても、その問題点を指摘しています。

  (関連記事)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
効果あったかに見えた日本のコロナ対策、なぜ惨状に
 舛添 要一 JBpres 2020/08/22
国際政治学者   
 東京都の新型コロナウイルス感染者は、8月18日が207人、19日が186人、20日が339人、21日が258人と高止まりのままである。東京都のみならず、神奈川県、埼玉県、千葉県を含む首都圏、大阪府、兵庫県、愛知県、福岡県などの大都市をかかえる府県、また観光地の沖縄県でも感染者が急増しており、日本列島各地で感染が再拡大している。
 19日には、感染症学会理事長も「日本は第二波の真っ只中」と表明した。今更ですかと言いたくなるが、この第二波の拡大は、私が指摘するように、コロナ対策では日本が「アジアの劣等生」になっていることを意味する。
(参考記事:コロナ対策、日本は完全に「アジアの劣等生」)
 世界から見て、アジアの中で日本が「最も危険な国」の一つであり、渡航は勧められないゾーンとなっている。毎年、秋には大学での講義やAI・5Gなど先端技術の視察に中国を訪問するが、今年は全く目処が立っていない。半年前は、日本人が中国訪問を忌避していたが、今は、中国人が日本から客人を迎えるのを拒否している。

アジアで日本より酷い状況なのはフィリピンとインドネシアくらい
 20日現在で、アジアのコロナ感染者数・死者数を見ると、日本が6万33人・1160人であり、それよりも酷いのはフィリピン(人口1億960万人)の17万3744人・2795人とインドネシア(人口2億7352万人)の14万4945人・6346人くらいである。中国が8万4895人・4634人、韓国が1万6346人・307人、タイが3382人・58人、ベトナムが994人・25人、台湾が486人・7人であり、人口当たりで比較すると、日本がいかに劣等生であるかがよく分かる。

 第一波が中国から到来したときには、震源地である武漢の惨状が伝えられていたにも関わらず、すべて対岸の火事といったような雰囲気で、水際対策を徹底する対策は講じられなかった。観光、インバウンドへの期待もあって、春節で訪日する中国人に規制をかけなかったのである。
 ところが、2月3日に横浜に帰港したダイヤモンド・プリンセス号の乗客、乗員に大量のコロナ患者が発生してしまった。そのときの日本政府の対応の酷さは内外の厳しい批判に晒された。
 しかし、それでもまだ、国内の感染者があまり増えないことから、市中感染という事態は念頭に置かず、クラスター潰しに全力を上げた。濃厚接触者の数が限られていたこともあって、これは一定の成功を収めた。これで、「クラスター潰しこそ“日本モデル”」だとして、自画自賛するとともに、世界からも称賛された。
 このときに脚光を浴びたのが、厚労省のクラスター対策班であり、感染予想の数理モデルを提示した西浦教授であった。

 しかも、2月後半からイタリア北部を中心に新型コロナウイルスの感染が爆発的に拡大し、それは周辺のフランス、ドイツ、スペインなどの欧州諸国に伝播していった。とくに、致死率が高く、多くの死者が出て、医療崩壊を来すほどになったのである。
 そのヨーロッパの惨状が伝えられると、日本の死者の数が限られていることに注目が集まり、相対的に日本の評価が高まるという結果になっていった。アメリカでも、3月になって、カリフォルニア州やニューヨーク州で非常事態宣言が発令されるなど、感染が拡大していき、日本のメディアも欧米の感染状況を大きく報道するようになったので、ますます日本の優等生ぶりに注目が集まるようになった。たとえば、その要因としてBCG接種を取り上げたり、きれい好きの日本人の生活習慣がもてはやされたりした。
 しかし、今でもそれらの説が正しいのか否かは不明である。逆に、第二波の感染が拡大し、アジアの劣等生になってしまうと、今度は、なぜ日本だけがアジアで酷い状態なのかという問いを発せねばならなくなる。土足で室内に入らないといった日本人の生活習慣が変わったわけではないからである。

当初の「まぐれ当り」で気をよくした厚労省と専門家
 新型コロナウイルスも時間の経過と共に変異を遂げ、様々な型が生まれた。日本を襲ったのは致死率の低い型のウイルスであるが、ヨーロッパ人を恐怖に陥れたのは致死率の高い型であった。アメリカでは、ヨーロッパにより近いニューヨーク州などの東海岸はヨーロッパ型、アジアにより近いカリフォルニア州はアジア型であり、4月のデータでは東西の致死率の差は明確であった。
 さらに、3月29日にはタレントの志村けんさんがコロナで死亡したが、これが国民に与えた衝撃は大きく、国民の感染防止対策励行に拍車をかけたのである。3月は、イタリア、スペイン、フランスなど、ヨーロッパ諸国で都市封鎖が行われ、警察官がパリやマドリードなどの路上で取り締まりに当たる状況が、毎日のようにテレビで伝えられた。これもまた、国民の緊張感を高め、感染防止に寄与したと思われる。
 以上のように、ほとんど「まぐれ」と言ってもよいように、順調にコロナ対策が進み、厚労省クラスター班や専門家会議に集まる感染症のプロたちは鼻高々であり、マスコミも、彼らの説をあたかも「神のご託宣」であるかのように無批判に垂れ流した。42万人が死ぬといった数理モデルがその典型である。

 しかし、このクラスター潰しの背後で、市中感染がじわじわと進んでいたのである。感染症対策の大原則は「検査と隔離」である。その検査を怠っていたツケが、今の第二波につながっている。私は、一貫してPCR検査を増やせと主張してきたが、「医療崩壊するから駄目だ」というような信じがたい反論が数多く返ってきた。テレビに出て平気でそのような信じがたい発言をする医師を見て、愕然としたものである。
 クラスター潰しのときも、厚労省は濃厚接触者でも症状のないものにはPCR検査を行わないという信じがたい対応をとってきた。そのため、陽性でも無症状者は発見できず、それが市中感染の拡大につながったのである。この馬鹿げた厚労省の指示を無視して、5月に北九州市が濃厚接触者で無症状者にも広くPCR検査を拡大したところ、一気に感染者が増えたのである。
 そもそも、こういう指針を厚労省が発出していたこと自体、国民には知らされていない。基本的な情報公開もせずに、「通知」行政で非常識、非科学的な対策を講じてきた国の責任は重いし、それを改めさせることもしなかった専門家会議も同罪である。さらに言えば、このような「通知」行政の問題点について調査報道すらしないマスコミの体たらくは度し難い。
 検査が不十分だったことの非を悟ったのか、厚労省は、やっと8月18日の通知で、濃厚接触者でなくても、感染多発地域の医療機関や高齢者施設の従事者や入院・入所者も「感染を疑うに足りる正当な理由がある」人に含めることにし、検査を拡大する指示を出している。最初から、これを実行していれば、医療崩壊は防げたはずである。
 4月7日には政府が7都府県を対象に非常事態宣言を発令し、16日には対象が全国に拡大された。その効果もあって、感染者数は減り、5月25日には非常事態宣言は解除された。

 ところが、6月以降、経済活動が再開されるにつれて、次第に感染者が増え、遂に第二波の到来となったのである。
 ここに至る経過を振り返ると、最初から対策が失敗していたことが分かる。
 第一の問題は、情報を隠匿し、操作すらしてきたことである。厚労省の発出する「通知」は、法律と違い、国会のチェックもなければ、マスコミも目にしない。共産党の独裁国家である中国に情報公開を求めても意味がないが、実は、日本国や東京都は中国以上に巧妙に情報操作をしているので、もっとたちが悪いのかもしれない
 東京都は陽性者数とPCR検査数を同時に公表しない。小池都知事は、「今日は○○件と検査数が増えたので、陽性数も増えています」などと、弁解する理由を見つけたいときだけ検査数を言う。
 しかし、群馬県は、PCR検査数と陽性者数を同時に発表している。たとえば、8月19日の発表には、検査408件、陽性者15件と記され、内訳がPCR検査数284件、県衛生環境研究所76件(うち陽性7件)、民間検査機関145件(うち陽性5件)、医療機関63件、抗原検査124件(うち陽性3件)と詳細に公表されている。
 なぜ同じことが東京都にはできないのか。できない理由を明らかにし、できるようにするのが都知事の仕事である。常識で考えれば、検査数が分からないのに、陽性者数が分かるはずはないからである。恐らく、都内の保健所からのデータが手書きのファクスであったりするような博物館行きのアナログ手法をまだ使っているのではないか。デジタル化し、パソコンを駆使すれば瞬時に解決できるのではないか。「病膏肓に入る」という感じである。

都道府県によって違う「重症者」の基準
 第二は、中央と地方の役割分担が明確でないことである。私が厚労大臣として新型インフルエンザと戦ったとき、感染症法では知事の権限が余りにも弱すぎるという反省があった。そこで、政権は民主党に代わったが、感染症対策についても、知事が災害対策基本法に定められた程度の権限を持てるように、新型インフルエンザ特措法を制定したのである。
 しかし、今回のコロナ対策についても、緊急事態宣言下での国と地方の権限と役割が明確ではなく、営業自粛要請に伴う補償金についても、地方の財政力のみでは対応できないという不満が地方から噴出している。
 新型コロナウイルスの感染が再拡大する中で、重症者の比率が高まると、医療崩壊につながるので注意が必要である。ところが、重症者の定義として厚労省が示した基準を、東京都、静岡県、滋賀県、京都府、高知県、福岡県、茨城県、和歌山県8都府県が使用せず、独自の基準を採用していたことが分かった。これでは、47都道府県を比較する意味がなくなる。
 厚労省は、(1)ICUに入室、(2)人工呼吸器使用、(3)ECMO使用のいずれかに当てはまる場合を重症者とするという基準を、「通知」で47都道府県に伝えている。この問題が話題になったので、はじめて通知の中身が分かったのである。
 私が厚労大臣のときも、課長が出す通知などは知らされなかった。通知とは、「技術的助言」なのであり、国会による抑制も効かない。しかし、何百通と発出される通知が、日本の社会の官僚主導を強めているのである。
 以上のような問題を直視し、迅速に対策を講じないと、第三波、第四波にこの国は耐えられない。なぜ、国会を閉じたままなのか。このままでは、日本は、1945年に次ぐ、「第二の敗戦」を迎えることになる。